08.03.25

Fringe 23, Vol.4, - Japanese fanzine dedicated to Czech and Slovak alternative and industrial music (2024)

チェコスロヴァキアの地下音楽~最初のインダストリアル・ミュージック:ヤロスラフ・パラットとインタープレタッツェを巡って

剛田武 Takeshi Goda 


■はじまりはプラスティック・ピープル

筆者が初めて聴いた共産圏のロックバンドがチェコスロヴァキアの「プラスティック・ピープル・オブ・ザ・ユニヴァース/The Plastic People Of The Universe」(以下PPU)だった。「Fool’s Mate」「Marquee Moon」などのプログレ誌で「政府当局から国民の恥として弾圧を受け活動が禁止された反体制ロックバンドの極秘音源」と紹介された『Egon Bondy's Happy Hearts Club Banned』(エゴン・ボンディの幸福心クラブが出入り禁止に) というアルバム。メモには1981年3月25日お茶の水Disk Unionで購入とあるから、おそらく大学受験に失敗して通うことになった予備校の手続きの帰りに買ったのだろう。チェコ語の不穏な歌の陰鬱なメロディと、ヴァイオリンやサックスやエレピを交えた非ロック編成による重苦しいサウンドは、暗い浪人生活の始まりにピッタリだった。分厚いブックレットの長文英語ライナーはほとんど理解できなかったが、ソ連の軍隊や戦車が駐留する街に佇む暗い顔をしたメンバーや暗黒演劇風のステージ写真は平和な自由主義国にはない異端の香りがたっぷりで、14歳(中3)で出会ったパンクロックに似た衝撃を受けた。しかしそれはパンクの怒りとは真逆の負のエネルギーに満ちた淫靡な地下音楽へのいざないだった。

1986年に就職し、88年に初めての海外出張で訪れたニューヨークで購入した新聞「Village Voice」に5ページにわたるPPUのインタビュー記事を見つけて驚いた。「真夜中の旅:プラスティック・ピープルの時宜にかなった死」というタイトルで、PPUの解散を伝える内容だった。その時は背景がわからなかったが、後で考えるとソ連のペレストロイカに始まり、翌年のベルリンの壁崩壊へ至る東欧革命の兆しを報じる記事だったのだろう。それにしても偶然行った海外でPPUと出会うとは不思議な縁を感じた。

90年代に入ると1972年~1984年のPPUの活動を集大成した8枚組ボックスや未発表ライヴ音源がリリースされるとともに、1997年に再結成されたPPUの新作も継続して発表されてきた。そのすべてを追っていたわけではないが、PPUの名前は常に頭の中に黒い塊にように存在し、筆者の音楽生活の座右の銘になっている。

 

The Plastic People Of The Universe


■チェコスロヴァキア地下音楽概論

冷戦下の東欧諸国ではソ連ほど厳格に西側の文化が禁じられていたわけではない(程度は国により異なる)。チェコスロヴァキアでも西側のポップスやロックのレコードは公式には販売されなかったが、西側に住む親類や友人を通じて密輸された最新のロックのレコードがテープにコピーされて聴かれていた。西側の生活・文化水準に手が届かない共産国の若者にとっては、完成度の高いヒット曲よりも、マイナーなバンドの粗削りで未完成なサウンドのほうがリアルに感じられたということもあり、当時米国では知名度が低かったヴェルヴェット・アンダーグラウンドを筆頭に、キャプテン・ビーフハート、ザ・ファグスなど異端のロックバンドに心酔した若者が多かったという。西側でも有名なフランク・ザッパは、歴史的に他国の侵略・征服に晒されてきたチェコスロヴァキア人の反骨精神に通じるユーモアが共感を呼んだ。

60年代末~70年代にかけてプラハ・アンダーグラウンド(Prague Underground)と呼ばれるカルチャー・ムーヴメントが起こり、その中心には前衛ロックや地下出版文学があった。1968年8月「プラハの春」と呼ばれる自由化政策が、ソ連・東欧軍の介入により弾圧される事態になったが、それにも関わらずアンダーグラウンド・シーンはむしろ活発化。当然共産政権からの統制・弾圧が強化され、コンサート活動を禁止され、見せしめのようにミュージシャンや作家や芸術家の逮捕・投獄が繰り返される。

80年代には西側のパンク/ニューウェイヴに影響された若手ミュージシャンが続々現れたが、やはり政権から反体制の温床と見なされ公式な活動が制限された。しかし各地で当局の目を盗んでプライベートなコンサートや音楽フェスが開催され、密かに新たなスタイルの音楽ムーヴメントが育まれていった。

そんな動きを一気に解放したのが89年11月のビロード革命(Velvet Revolution)だった。Velvetとは、流血なしにビロードのように滑らかに民主化を成し遂げたことを意味するが、立役者のハヴェル大統領が劇作家時代に大きな影響を受けて、民主化運動の起爆剤になったヴェルヴェット・アンダーグラウンドにも由来する。

本稿では、ヴェルヴェッツに鼓舞された民主化運動で自由な表現活動を勝ち取り、過去の社会組織の柵や経済停滞に苦しみながらも徐々に正常化の道を歩んできたチェコとスロヴァキアの地下に蠢くマグマのような音楽表現の噴出を、ほとんど語られたことがないインダストリアル・ミュージックを中心に深く掘り起こしてみたい。(2024年4月16日記)


Jaroslav Palát ヤロスラフ・パラット

「嘔吐物袋をホールの前で配るべきだ。僕がやりたいのはそういう音楽なんだ。」

~プラハ地下音楽シーンの中心人物にして謎多き孤独な男~

ヤロスラフ・パラット(愛称:ヤルダJarda)こそ、チェコスロヴァキアの初期インダストリアル・ミュージック・シーンの最重要人物である。80年代初頭からプラハ近郊のクラノヴィツェにある家族所有の古い別荘に音響ラボラトリーを構え、あらゆる種類の楽器を使って音楽および非音楽を実験的に制作・録音していた。ギター、ベース、ドラム、ピアノ、コルグのシンセサイザーなどさまざまな楽器を操ったが「弾き方を知っている」という意味で楽器を使うことはなかった。そして彼のことは誰もが知っていたが、本当の彼をよく知る人はいなかった。

パラットが1983年にワンマンユニット「Disharmonic Ballet」(不協和音バレエ)としてリリースした2作のカセットアルバムは、チェコスロヴァキア最初のインダストリアル・ミュージック作品である。壊れたエレキギター、2 台の 4 トラックテープレコーダー、多数のマイクとピックアップ、エフェクトボックスによる混沌としたサウンドは、チェコではもちろん同時代のヨーロッパでも異彩を放ち、1986年にイタリアのレーベルからリリースされ、西側のインダストリアル・シーンでも知られることとなった。実際に1991年にアインシュテュルツェンデ・ノイバウテンがツアーでプラハを訪れたとき、ブリクサ・バーゲルトが気になるアーティストとしてパラットの名を挙げたという。

80年代後半、コルグ・シンセサイザーでサウンドの幅を広げたパラットは、新たなソロ・ユニット「Abteilung des Intensive Sorge  (AIS)」(集中治療室)として3作のアルバムをリリース。また、85年にヒッピーバンドGARUDAのメンバーだったSlavek Kwi(スラヴェク・クウィ)とのコラボユニット「Quarantaine」(検疫)名義でも作品を制作。パラットはゴミがぎっしり詰まったドラム缶の底にカセットテープを埋め込んだパッケージでリリースすることを提案したというが、郵送の問題で実現しなかった。

自宅で音楽を作ることは確かにある程度の満足感をもたらすが、ライヴ・パフォーマンスが出来ず、したがって世間の反応がないことに欲求不満を感じることになる。パラットは86年に「Veselí Filištínové」(陽気なペリシテ人)というバンドに参加することでその問題を解決した。バンド名とは真逆のダークな精神性を持つ彼らは、パラットの参加によりインダストリアルな傾向を増すこととなった。87年にVeselí Filištínovéが解散すると、翌年にはトルストイのSF小説『技師ガーリン』から名前をとったインダストリアル・バンド「Paprsky inženýra Garina (PIG)」(技師ガーリンの光線)に参加し、革新的な手法と実験的なサウンドで、バンドに新しい方向性を与えた。ビデオ投影やパフォーマンスを交えて、光と音の爆発で観客の五感すべてに刺激を与えるPIGのサウンドは「アインシュトゥルツェンデ・ライバッハ」と呼ばれた。

 1989年 11月ビロード革命で共産党政権が崩壊し、ついに物理的にも文化的にも国境が開かれたとき、パラットはヴォイス・パフォーマーやメタル・パーカッションを加えて「Suicidal Meditations」(自殺瞑想)を結成した。これはパラットのブレインチャイルドであるAIS を、単なるスタジオ・プロジェクトから、実際にライヴで魔法を発揮できる生命体へと進化させるプロジェクトだった。Club Delta、Shithouse、Rock Caféといったプラハのクラブで精力的にライヴ活動を行い、91年にはオーストリアで初の海外公演を敢行。Suicidal Meditationsは、VO.I.DEinleitungszeitをはじめとする後進のチェコおよびスロヴァキアのインダストリアル・シーンに大きな影響を与えた。

90年代に入ると、パラットの興味は音楽から他の芸術領域、特に視覚芸術に広がっていった。それと同時に生来の孤独な性格から赤ワインに溺れるようになった。1995年初めにプラハのUnicorn with Harp画廊でアート作品の展覧会を計画していたが、直前の1995 年 2 月 26 日に急逝し、アート展が実現することはなかった。晩年に手掛けていた新しい作曲作品も未完成のままで現在は失われている。死因に関する記録はみつからないが、アルコール依存症に起因する病死か、精神的に追い詰められての自死ではないかと思われる。

2013年11月にプラハで開催されたフェスティバル『Alternativa 2013』では「Jaroslav Palát in Memorial(ヤロスラフ・パラット・メモリアル)」として所縁のあるミュージシャンによる追悼コンサートが行われた。併せてネットレーベルCS Industrial 1982-2010 (CSi)の手で過去音源の再発が進んでいる。

【主なディスコグラフィー】

Disharmonic Ballet:

Quarantaine (1983, CSi 2014)

Clinics Death (1984, CSi 2014)

・Live in Klánovice – 29.3.1985 (zničeno)

・Live in Suchdol – 16.4.1985 (zničeno)

Isolation (1989, Old Europe Cafe) Prague Live 1984

Abteilung des Intensive Sorge:

・Yuta (1986, zničeno)

・Black Box (1987)

Bewusstlosigkeit (1988, CSi 2014)

Suicidal Meditations:

・Live in Delta – 6.4.1990

・Live in Shithouse – 22.10.1990

Four Studio Tracks: War Dance, Danger, A Red Brick, Climb The Wall (1990, studio-demo)

Suicidal Meditations (aka Savvy) (Live in Vienna, Elak Institut, 1991 - CDr, 1998, CSi 2013)

Live History I (kompilace živých nahrávek 1990-91, CSi 2014)

Quarantaine:

Lichtempfindlich! (1984, CSi 2013)

The Strategy Of The Cross Cut Up Piano (1985, CSi 2013)


Disharmonic Ballet / Quarantaine 

(Jaroslav Palát Self-released / 1983)

パラットの音楽妄想が世に出た最初の作品。ワンマンユニットDisharmonic Ballet名義だが、内容は82年から始まったスラヴェク・クウィとのコラボによる録音である。神経症的なループ、錆びついた電子音、執拗な金属リズムが陰鬱なレイヤーを成す音響は、パラットが愛聴していたThrobbing GristleやThe Residents等の影響を感じさせるが、それらとは異質のフラストレーション、孤独感、疎外感の冷気が聴き手の精神を侵蝕する。それは共産圏のダークサイドというより、パラット自身の内面から漏れ出した暗い妄念だろう。タイトルの「Quarantaine」(検疫)は、翌年パラットとクウィとのコラボユニット名となり2作のアルバムに結実するが、86年クウィの国外移住(亡命)により解消。それから30年後、パラットの没後20年経った2016年にクウィのソロ・ユニットとして復活する。

    

Abteilung des Intensive Sorge / Bewusstlosigkeit 

(Jaroslav Palát Self-released / 1988)

Quarantaineの消滅と入れ替わりで、パラットは新たなソロ・ユニットとしてAbteilung des Intensive Sorgeをスタートし、3作のアルバムを発表する。以前の深い閉塞感からの解放を予兆させるサウンドは、シンセサイザーやエフェクト類の進化と演奏技術の向上の結果、パラットの意識がポジティヴに音の歓びを表現する方向へシフトした結果かもしれない。『無意識』とタイトルされた本作は、無限に続く粘着質なループの反復が意識の裏側へサブリミナル効果をもたらす涅槃音楽。パラットのパッケージへのこだわりを反映した麻布仕様でリリースされた。

    


Suicidal Meditations / Suicidal Meditations 

(No Label / 1996)

ビロード革命直後、すでに「チェコ・インダストリアルの灰色の有名人」と呼ばれていたパラットがソロ・ユニットの発展形として結成したプロジェクト。90年代半ばに話題になった『完全自殺マニュアル』のように、「自殺」を明言することで実行に至ることを防ぐ効果があるとすれば、パラット自身の精神衛生上好ましい名前ではある。基本的にSilvia Hromádková(シルヴィア・フロマードコヴァー)のヴォイスと他の参加ミュージシャンの楽器演奏をパラットがライヴ・サンプリング&ミックスするスタイルで数作のライヴ録音カセットをリリース。91年ライヴ公演で訪れたウィーンのELAKスタジオで録音され、パラットの死の翌年96年にリリースされた本作では、ヴォイスとドラムだけの演奏を奇怪なエレクトロアコースティックに変調させ、複雑なリズムのフォーメーションと歪んだヴォーカルが微妙に絡み合う、この世のものとは思えない霊的な音楽世界を描き出している。Suicidal Meditationsはパラットの死で解散したが、2020年にシルヴィア・フロマードコヴァーを含む所縁の音楽家によりS/Mとして再始動した。

   

    Suicidal Meditations


Paprsky Inženýra Garina – Blbá Evropa

(Image Studios / 1991)

1986 年 6 月 にプラハで極秘開催されたオルタナフェスで対バンした二つのバンドメンバーにより結成されたインダストリアル・バンド。同年9月にヴォーカリストの絵画展でデビューする予定だったが、展覧会場側の活動家が当局に逮捕されたため中止の憂き目にあった。パラットは88年にギタリストとして加入。パラットの影響で実験的なサウンドに生まれ変わり、歌詞も自作の他にホーチミンやロシアの詩人や小説家の作品を取り入れ、プラハ地下シーンをリードする存在として活躍する。『愚かなるヨーロッパ』と題された本作が唯一のリリース。メタル・パーカッションやサンプラーを取り入れつつ、民俗音楽や中世宗教音楽の要素が濃いダークなサウンドがチェコのポスト・インダストリアルを象徴する。2015年にオルタナフェスAlternativaでTest Dept.と共演する栄誉に輝いたが、同年パラットの急死により活動は散発的になる。2005年に若手メンバーを加えて現在も活動を続けているという。

    

   Paprsky Inženýra Garina 


Kwi / Re-Construction Of Polar Sleep 1986-1987

(CS Industrial 1982-2010 / 2016) 

86年にベルギーへ亡命したスラヴェク・クウィは、現地で映像アート中心に活動しながら音楽への興味を追求し、現在はアイルランドを拠点にサウンドアーティストとして世界的に活動する。Artificial Memory Trace、alfa00、uni.Sol_、soundctuaryなど多数の名義で、ほぼ毎日のようにアンビエント/ドローン/エレクトロニカ/フィールドレコーディングの新作を発表している。いずれもチェコ時代にパラットと共に培った異端精神が宿った異形の音響作品ばかりである。本作はクウィがベルギーへ移住して最初の1年間に、チープな録音機でフィールドレコーディングした音源をテープレコーダーの「録音」ボタンと「停止」ボタンを押すだけの原始的なカットアップ手法で編集したミュージックコンクレート。カオスの中にウィットに富んだストーリー性があり、聴いていて飽きることがない。

    

Interpretace インタープレタッツェ

  Interpretace 1979

  Interpretace 2019

「三人で集まって音を出して、終わったら一緒に散歩に行く。それは治療であり、社会主義的現実からの逃避であり、おそらく儀式のようなものだった。」 

~40年にわたり現実を独自に解釈し続ける異形のローカル集団~

プラハから約150km北東に位置する街Leberc(リベレツ)は、ドイツ語ではReichenberg(ライヒェンブルク)と呼ばれ、14 世紀から繊維工業が発達し「ボヘミアのマンチェスター」と称される工業都市だった。1930年代にヒットラーが侵攻し、汎ゲルマン主義のプロパガンダのために設立したスデーテン独立国の首都となり、ナチスドイツのポーランド侵攻の拠点になった。第二次大戦末期、敗色が濃くなったナチスドイツが作った有人型V1飛行爆弾(ナチス版神風特攻隊)のコードネームはライヒェンブルクだった。第二次大戦後ドイツ人は国外追放されチェコ人が再定住し、都市名もチェコ語のリベレツに統一された。

反ドイツのみならず独立精神の高いこの街のリベレツ大学で1978年に3人の学生が結成したバンドがInterpretace(インタープレタッツェ)だった。結成当時はサンフランシスコの前衛ロックバンド、クロームの1stアルバム『The Visitation』(1976)に多大な影響を受けたという。メンバーはRichard Charvát、Karel Neumann(Kytaristus)、Humor Nebassの3人で、状況に応じてMartin Habětínek(Habas)が第4のメンバーとして参加する。結成から現在に至るまで、プラハの地下音楽シーンからは完全に孤立した環境で活動を続ける。

Intepretaceとはチェコ語でInterpretation(解釈、通訳)を意味する。「絶対的な現実は存在しない。現実とは解釈の問題である」という思想に基づいて「メンバーそれぞれの現実への独自の解釈を肯定し、お互いの現実を音楽で再解釈する。そしてその音楽を聴き手が独自に解釈することを肯定する」。これがInterpretaceの活動の信条である。

彼らの音楽はギター、テープループ、ラジオなどを使った完全なフリー・インプロヴィゼーションの結果であり、手法自体は同時代の西側のインダストリアル/エクスペリメンタル・ミュージックと似ているが、単なる音のカオスに終わらないオーガニックな感覚は一種のアミニズムを思わせる。それは極めて独特な演奏・録音方法に起因する。彼らはスタジオやライヴハウスやコンサート会場など音楽向けの場所で演奏することはほとんどない。自らの足で探索し、古い城や教会、工場や廃墟の建物、野外の広場や森の中など、いい音響が得られるロケーションを見つけたら、即座にその場所で演奏し録音する。違法とまではいかないが、所有者などの許可を得ることはない。また、自分たちのための演奏なので宣伝や告知は一切しない。最も大切にしているのはローマ時代の宗教用語で「場の守り神」を意味するGenius Loci(ゲニウス・ロキ)。演奏する場所に宿る雰囲気や気配を糧にして生み出されるのがInterpretaceの音楽なのである。

80年代初めに音源をカセットテープでリリースし始める。ごく少数ハンドメイドで制作された作品はアンダーグラウンドなルートで配布され、そのうちに人の手を通じて西側諸国へも届けられ、1986年にイタリアのノイズ専門レーベルOld Europe Caféからカセットでリリースされた。シンプルに『INTERPRETACE』とタイトルされたこのアルバムには、面白いことに「Všechno Špatně」=All Wrong(すべて間違い)という曲が収録されていた。2006年にDiscogsで偶然見つけるまで、メンバーはこの非公式アルバムの存在を知らなかったという。このアルバムは2018年にメンバー自身によるリマスタリングで正式にデジタル・リリースされた。

90年代以降はフリー・インプロヴィゼーションをベースにして、ミニマル、アンビエント、エレクトロニカ、現代音楽などへ音楽性の幅を広げており、2010年からはメンバーのHabbsが映像制作をスタートし、ショートフィルムを数点発表している。近年は新作に加えて過去の未発表音源が次々発表されている。

現在もリベレツを拠点に同じメンバーで活動を続けるInterpretaceは、チェコスロヴァキアの最初のインダストリアル・ミュージック・アーティストというだけでなく、40余年にわたり現実を独自に解釈し続ける孤高の表現集団として、世界的に評価されるべき存在である。


【主なディスコグラフィー(80年代のみ)】

Garáž (1981)

Devátá Vlna (1983)

・Vodka'n'Roll (1983)

Interpretace (1986 Unofficial)

HanniBaal (1986)

Live In Chapel Hradek N. Nisou (1986)

Tschernobyl (1986)

Země Zemi, Popel Popelu, Prach Prachu (1986)


Interpretace / Devátá Vlna

(Interpretace Self-released / 1983) 

1作目の『Garáž』(81)はギター、ベース、ドラム編成のジャムセッションだったので(それも十分奇怪なアヴァンロックだが)、2作目の本作がインダストリアル・バンドとしてのデビュー作と言えるだろう。チープなシンセの電子音とエフェクト操作で変調された器楽ノイズが不格好に重なり合うガジェット感は、日本の19/Jukeや第五列の諸作を思わせる。特に盛岡在住のOnnykこと金野吉晃が、70年代末~80年代初頭に自宅録音で制作した作品と同じ匂いを強く感じる。この際「リベレツはチェコの盛岡である」と言い切ってしまおう。当時社会主義の壁がなければ、リアルタイムで第五列と交流があったかもしれない。

    

Interpretace / Live In Chapel Hradek N. Nisou

(Interpretace Self-released / 1986)

チェコ、ドイツ、ポーランドの三国国境に近いフラーデク・ナド・ニソウの平和教会でライヴ録音されたアルバム。大聖堂の深いリバーブの中で、シンバルの連打音と弦楽器のきしむ音と得体のしれないパルス音が鳴り響く、文字通りのリチュアル(儀式)ミュージック。教会の精霊が降臨して合唱しているように聴こえる。無許可の演奏ということだが、こんな騒音を1時間近く垂れ流して「人騒がせにもほどがある!」とお咎めはなかったのだろうか?「Live」とあるが、観客がいるライヴではなくその場所での生録音を意味する。その意味ではInterpretaceの作品はすべて「ライヴ録音」なのである。

    

Interpretace  / Tschernobyl

(Interpretace Self-released / 1986)

1986年のチェルノブイリ原子力発電所の爆発事故を受けて録音したアルバム。ガイガーカウンターを思わせるノイズギターやハンマービートの断続音に、サイレンや解体工事現場の金属音がコラージュされ、最後は空虚なレクイエムへと至る。原子炉の爆発~崩壊~世界の滅亡のストーリーをInterpretace流に音で再現したショッキングなコンセプト作。ちなみにアブサンに含まれる幻覚ハーブ、ニガヨモギの催眠成分をロシア語・チェコ語ではChenobyl(チェルノブイリ)と呼ぶらしい。

    

Ivan Acher & Richard Charvát / 1. Regionální

(CS Industrial 1982-2010 / 2021)

90年代初頭リベレツ工科大学で教職を得たInterpretaceのリヒャルト・シャルヴァートは、学生でアーティストのIvan Acher(イヴァン・アッチャー)と出会い、二人でいくつかの即興演奏を録音した。本作はInterpretaceのKytaristusや鍵盤奏者のJakub Zitko等をゲストに迎えてのピアノ、オルガン、管楽器、弦楽器、オブジェ、テープ等を使った即興演奏を、リヒャルトが歌曲の形に編集したコラージュ作品。雑多で複雑な構成はミュージックコンクレートやレコメン系チェンバーロックに通じるが、根幹にあるのは現実を再解釈するInterpretace精神である。その後イヴァンは作曲家としてダンスや演劇の劇伴を数多く手がける。

    

Interpretace / EGO 

(Noise Margin / 2024)

2024年4月7日にチェコのNoise Marginレーベルからリリースされた現時点での最新アルバム。ドローン/アンビエント系のサウンドだが、そこはかとないリチュアル感と冷徹な感性は40年前と変わっていない。どんな機材を使っているのかわからないが、おそらく最新テクノロジーではなく、80年代に近いレトロな機器で制作されたと想像される手作り感のあるインダストリアル・サウンドには希望の光が満ちている。政治・経済状況がどう変わろうと、現実とは個々人の解釈の問題であることに変わりはない。その一貫した表現精神こそ故郷リベレツに宿る「インタープレタッツェ魂」の証かもしれない。

   


■その他のチェコスロヴァキア地下音楽

共産政権時代のチェコスロヴァキアにはSupraphon、Panton、Opusの三つの国営レコードレーベルがあり、クラシックだけでなくジャズやポップス、ロックもリリースされていた。優れたビートロック、サイケデリック、プログレ、ジャズロックのレコードも多数ある。しかしレコードを出したりコンサートで演奏したりするためには、当局の審査を受けてプロ免許を得る必要があった。政権側が不適格と判断した音楽家は、免許が与えられなかったり、一度与えた免許がはく奪されたりして、公式な音楽活動が禁止されることになった。それは音楽のスタイルというより音楽を取り巻くカウンターカルチャーへの弾圧だとも考えられる。インダストリアル・シーンに関しては、そもそも活動自体がマイナーでごく一部の人にしか知られていなかった(この状況は西側でも同じである)ので直接政府の弾圧を受けたわけではないかもしれない。そうだとしても89年11月のビロード革命により、芳醇な地下音楽の水脈が地上に溢れ出たことは、もう一つの「革命」だったことは間違いない。

ここに紹介するのは70~80年代を生き抜いた地下ロックの猛者から、90年代オルタナ/インダストリアル・シーンの個性派や、現代の最先鋭アーティストまで、チェコスロヴァキア地下音楽の豊饒の海の水先案内となる作品である。


The Plastic People Of The Universe / Egon Bondy's Happy Hearts Club Banned

(Boží Mlýn Productions, Invisible Records / 1978)

チェコ地下音楽の基本アイテムにして試金石ともいえる問題作。初期PPUのメンバーで、76年の弾圧で国外追放されたカナダ人ポール・ウィルソンが設立したBoží Mlýn Productionsによりフランスでリリースされた。このアルバムがなければPPUやチェコ地下音楽の存在が西側に知られることがなかった(または遅れた)ことは確かだが、その半面、リリースの背景から「東欧のロックは迫害と闘争の中で生まれた」という偏ったイメージを生んだことも事実。政治云々とは関係なく、地下芸術を象徴する黒で包まれたアートワークと、ひび割れた前衛ジャズロックの生々しさは永遠に褪せることはない。筆者が偏愛する60年代ロサンゼルスのガレージサイケバンド、ザ・シーズを彷彿させる物寂しいエレピの音が個人的にはたまらない。

    

DG 307 / Gift To The Shadows (Fragment)

(Boží Mlýn Productions, Šafrán 78 / 1982)

PPUと並び70~80年代プラハ・アンダーグラウンドを代表するバンドがDG307。バンド名は若者が兵役免除の証明書を得るための精神科診断番号。73年にPPUのベーシストMilan Hlavsa(ミラン・ハルヴサ)と詩人のPavel Zajíček(ペヴェル・ザジャク)により結成。何度かの弾圧の末、騒乱罪で逮捕されたザジャクは80年に国外へ亡命しバンドは解散を余儀なくされる。民主化後、帰国したザジャクにより92年に新メンバーで活動再開、ライヴにレコーディングに精力的に活動するが、2016年ザジャクの健康上の問題で活動停止した。本作は82年にBoží Mlýn Productionsによりスウェーデンでリリースされた79年録音の1stアルバム。ビートレスで詩と歌に重きを置いた暗黒チェンバーロックの狂気が、チェコ・アンダーグラウンドの最深部を垣間見せる。


 

Various – Czech! Till Now You Were Alone

(Old Europa Cafe / 1984)

ヤロスラフ・パラットやインタープレタッツェを含む東欧地下音楽を多数リリースしているイタリアのレーベルOld Europa Caféが、冷戦真っただ中の84年にリリースしたチェコ地下ロック・コンピ『チェコよ!今まで君は孤独だった』。ほとんどの音源が政権当局はもちろん、アーティスト本人も知らないうちに地下ルートで流出したものだろう。時代的にニューウェイヴ/ポストパンク系の多様なスタイルが混在したアマルガムになっていて、当時の日本の無名インディーズ・コンピを聴いているような既視感がある。ゼルダやじゃがたらにそっくりの曲もあり思わず笑ってしまう。その中でもラストに収録されたDisharmonic Balletの異物感は突出している。

    

Psí Vojáci / Brutální Lyrika

(Indies Records / 1995)

高名な詩人の息子であるFilip Topol(フィリップ・トポル)が79年にプラハで結成したオルタナロック・バンド、シ・ヴォヤーチ(犬の兵隊)。デビュー・ライヴ直後に秘密警察により摘発され当局から公的活動を禁止されたが、プライベートな秘密イベント等で活動を続け、89年以降人気バンドになった。国内外をツアーし20枚近いアルバムを発表したが、トポルの死により2013年6月に解散。パンクロックだけでなく近現代クラシックや前衛音楽の影響を受けた高度な音楽性と、トポルの流麗なピアノと文学的な歌が特徴。「残酷な歌詞」と題された本作は、ピアノとサックスが交錯するフリーキーな疾走感が、筆者が偏愛するオーストラリアのポストパンク・バンドLaughing Clownsを思わせる隠れた傑作。


Napalmed / Never Mind The MSBR, Here's The Napalmed

(Cze Napalmed / 2002)

1994年チェコ北東部の街モストで結成されたノイズコアバンド。メタルや廃材をエレクトロニクスで変調したハーシュノイズで知られ、ジャパノイズとのつながりも深く、メルツバウ、AUBEなどのコラボ/スプリット作品も多い。セックス・ピストルズのタイトルをパクった本作はノイズ専門誌『電子雑音』を創刊した田野幸治(MRBR)をリスペクトしたノイズ作品。7~80年代には不可能だったチェコと日本の地下音楽の交流がノイズ・シーンで実現した意義は大きい。中心人物のRadek Kopelは、ソロ・プロジェクトNPLMDやノイズ・トリビュートバンドEine Stunde Merzbauten(アイネ・シュトゥンデ・メルツバウテン)などのサイド・プロジェクトを経て、現在はRDKPL名義で電子音響/ハーシュノイズを制作している。


Einleitungszeit / Aus Der Leichenkammer: "Klonieren Des Machinen Lärms"

(Recalcitrant Noise / 1997)

ドイツ語で出発時間を意味するEinleitungszeit(アインライトゥングスツァイト)は94年からスロヴァキアで活動するノイズ・インダストリアル・バンド。最初は4人組だったが、やがてP-01 / Patryck KyberとR-01 / Richard Norgの二人組になる。悪趣味な死体写真のジャケット、ヒステリックな打撃音、神経を逆なでする金属音、抑圧的な重低音が延々と続くパワーエレクトロニクスの典型だが、轟音の中に沈殿する行き場のない閉塞感が、社会主義圧政時代の名残を感じさせる。グラインダーや火炎放射器を使った破壊的なライヴ・パフォーマンスでも知られる。2008年を最後に新作リリースはないが、2024年4月7日にこの5thアルバムを含む4作品がリマスターされてアメリカのノイズ専門レーベルPhage Tapesから再発された。

    

   Einleitungszeit


Vladimír Hirsch / Lux Antiqua

(Integrated Music Records / 2023)

ウラディジミール・ヒルシュ(1954年生まれ)は70年代から活動する作曲家・鍵盤奏者。現代音楽家としての活動と並行して、80年代半ばにポストパンク・バンドDer Marabuに参加、90年代以降は複数のダークアンビエント/インダストリアル系グループを率いて活動している。現代音楽とアンビエント/インダストリアルを組み合わせた実験的な作風で知られ、音を均質で分割不可能な物質へと錬金術的に変換するコンセプト「Integrated Music(統合音楽)」で独自の音楽を制作している。本作は室内オーケストラと合唱団をフィーチャーしたダイナミックなアンビエント交響楽によるコンセプト・アルバム。暗黒のモダンクラシカルと呼びたい。


Miroslav Tóth & Dystopic Requiem Quartet / Black Angels Songs

(Tothem Records / 2021)

ミロスラフ・トスはスロヴァキアのサックス奏者・作曲家。現代音楽、即興音楽、エレクトロアコースティック、オーディオヴィジュアルの分野で活動し、映画や演劇のサントラやゲーム音楽も手がける。本作はコンテンポラリー弦楽四重奏団とトスのエレクトロニクスで生成した斬新なエッジを持つエレクトロアコースティック作品。奇々怪々な電子音を引き裂く弦楽器の悪魔のトリルは、チェコ・モダンクラシカル界の革命の雷(いかずち)と言えるだろう。

    

Budeč / LX

(Budeč Self-released / 2022)

チェコにはボヘミアとモラヴィアに大別できる伝統的な民俗音楽の流れがあり、その影響はジャンルを問わずあらゆるチェコ音楽に色濃い。中世民俗音楽の霊的世界への憧憬は地下シーンでも重要な要素となっている。本作は「チェコ版アシッド・マザーズ・テンプル」という風情の現行プログレサイケ・バンドOlaf Olafsonn and the Big Bad Tripのリーダーのオラフ・オルフソンと、女性シンガーZuzana Gulová(ズザナ・グロヴァ)のデュオユニットBudeč(ブデチ/英語でwill beの意味)の3rdアルバム。フルート、リコーダー、パーカッション、弦楽器などの民俗楽器を多用した美しく神秘的なアコースティック・サウンドは、Current 93のリチュアル・フォークに通じる異世界への導きである。


Přetlak Věku /  ...nebo maliny

(Poli5 / 2024)

古くから征服者の圧政を笑って受け流してきたチェコ人の諧謔精神は、ユーモラスで捻くれたポップミュージックを多数生み出してきた。フランク・ザッパに通じる変拍子や演劇仕立てのサウンドはチェコ前衛ロックの裏の主流といえる。「時代の重圧」を意味するシェトラク・ヴィェクは、2009年にプラハで結成された男女二人ずつのジェンダーバランスのとれた4人組。『…あるいはラズベリー』と題された本作は4作目にして最新作。フルートとEWI(電子クラリネット)の絶妙なアンサンブルとコミカルな男女ヴォーカルの掛け合いで展開されるレコメン系アヴァンポップは、笑って泣ける人情劇のように面白い。大道芸人顔負けのドタバタなライヴ・パフォーマンスも一見の価値あり。

    

   Přetlak Věku


■レーベル・ガイド

*殆どの音源が無料でダウンロード可能です。

CS Industrial 1982-2010

1982~2010年のチェコスロヴァキア・インダストリアルの貴重音源を多数リリース。 

    

Noise Margin

CS Industrial 1982-2020の共同オーナーでもあるMichael Borůvkaが運営する現代チェコのインダストリアル/ノイズ・レーベル。

    

Poli5

2006年設立。あらゆるジャンルの現代チェコの先鋭音楽をリリース。

    

RDKPL

NapalmedのRadek Kopelの個人レーベル。

    


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